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兩個技巧讓你更好的運用日語(待審覈)

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私たちは日本語を使って生活しているが、日本語を使いこなしているかどうかはアヤシイところだ。読點(、)を打つ正しいタイミングとか、角の立たない表現テクニック とか、誰もが知っているようで知らない、もっと便利に活用できる餘地がたくさんある。それを教えてくれるのが、『辭書編纂者の、日本語を使いこなす技術』(PHP研究所)の著者の飯間浩明さんだ。

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我們平時使用日語生活着,但是是否能運用自如,這個就不好說了。標標點的正確方法、柔和的表達技巧,好像誰都知道,其實是不知道的能夠便捷使用之處有很多。教導我們這個的是《辭典編撰者的、運用日語的技術》(PHP研究所)的作者飯間明浩。

■読點(、)はどのタイミングで打つのが正しいか?

■標點(、)在什麼時候標是正確的呢?

読者は文を書くとき、読點(、)をどのタイミングで打っているだろうか。なんとなく好きなタイミングで打っている人もいれば、獨自ルールを決めて打っている人もいるだろう。著者によると、読點には「文の骨組み をはっきり示す」という役割があり、以下のルールで打つと、文が読みやすくなるそうだ。

讀者在寫文字的時候,會在什麼時候標上標點(、)呢?有人是在自己喜歡的時間點標標點,有人是按自己的規則來標標點。根據作者所說,標點有着“清楚表示文章框架”的作用,按照以下的規則來標點,文章會變得容易讀。

・「出來事 」と「出來事」の間に打つ
・割り込んだ部分の直前 に打つ

・在“事情”和“事情”中間標標點
・在加進去的部分前標標點

例を交えて説明しよう。

舉個例子來說明一下。

學校から帰ってから彩ちゃんと渋谷へ映畫を見に行ったがつまらなかったので途中で出てきてカフェでずっと話していた

んー、実に読みにくい文だ。読點の大切さが分かる。この一文を整理してみると、以下のようになる。

嗯,是一句很難讀的話。由此可見標點的重要性了吧。整理一下這個句子,如下文所示。

1 私は學校から帰った。
2 私は彩ちゃんと渋谷へ映畫を見に行った。
3 映畫はつまらなかった。
4 私たちは途中で出てきた。
5 私たちはカフェでずっと話していた。

1 我放學回家。
2 我和小彩去涉谷看電影去了。
3 電影很無聊。
4 我們半路出來了。
5 我們一直在咖啡店裏聊天。

この5つの出來事をまったく切らずに書いているので、分かりにくくなっているのだ。つまり前出の文に4つの読點を打って、5つの出來事に切れ目を示せばいい。

因爲是沒有分割出這5件事而寫的,所以變得難懂了。也就是說,在上面句子裏標上4個標點,把5件事分開就行。

學校から帰ってから、 彩ちゃんと渋谷へ映畫を見に行ったが、 つまらなかったので、途中で出てきて、 カフェでずっと話していた。

從學校回家後,和小彩去涉谷看電影,但是電影很無聊,所以半路我們就出來了,一直在咖啡店裏聊天。

もう1つ例文を載せよう。

再舉一個例子。

彩ちゃんがフランスで修行したシェフのレストランに連れて行ってくれた。

フランスで修行 したのは「シェフ 」なのか「彩ちゃん」なのか、誤解を生みそうな文だ。これも読點がないために、読みにくくなっている。どこに読點を打つべきか探るため、まずは基本の文を抜き出してみる。

在法國學習的是“主廚”呢還是“小彩”呢?這是一句容易產生誤解的句子。因爲沒有標點斷句所以很難讀。爲了找尋該將標點標在哪,首先挑出基本的句子。

彩ちゃんがレストランに連れて行ってくれた。

小綵帶我去了餐廳。

この文の途中に「フランスで修行したシェフの」が割り込んでいるのだ。したがって、割り込んだ部分の直前に読點を打つと、誤解を避ける ことができる。

這個句子中“在法國學習過的主廚的”是加進去的部分。所以,直接在加進去的部分前標標點,這樣能夠避免造成誤解。

彩ちゃんが、フランスで修行したシェフのレストランに連れて行ってくれた。

小綵帶我去了在法國學習過的主廚的餐廳。

他にも読點を打つルールがあるものの、この2つのルールを守っていれば、読みやすい文が書けると著者は述べている。

也有其他的標標點規則,但是隻要遵守這兩點的話,作者認爲是能夠寫出易讀的文章。

■形容詞を動詞に変換する角の立たない言い方

■形容詞變成動詞將說話方式變柔和

衣料品メーカーは、「太った人」のことを「ふくよかな方」と言い換える。「サイズが大きい」という直接的なニュアンスを打ち消した優しい言い方だ。また、かつら や植毛 の會社では、「禿げ」のことを「薄毛」と稱する。前者は頭髪のなくなった部分に重點を置いた表現、後者は殘った部分を中心にした表現だ。もちろん後者のほうが、感じがいい。

衣料廠家會把“胖子”換說成“豐滿的人”。這是打消了“尺寸大”給人直接的微妙感覺的,溫柔的說法。還有,假髮、植髮的公司中將“禿頭”說成“毛髮少”。前者是突出頭髮少的部分、將這個作爲重點的表現,後者是將留下的作爲中心來表達。當然後者讓人感覺更好。

このように同じことを言うのでも、表現の仕方によって、ニュアンス がよくも悪くもなる。社交術や子育てでも知られているように、人を評価するときは、否定的な表現よりも肯定的な表現を使ったほうが効果的だ。

像這樣的說同樣的事情卻根據表達方式不同,感覺有好有壞。在社交技術和教育孩子等的時候也是一樣,衆所周知,在評價人的時候,比起否定的表達使用肯定的表達更有效果。

たとえば「優柔不斷な人」と言えば否定的だが、「慎重な人」と言えば肯定的になる。同様に、「泣き蟲」は「涙もろい」と言い換えることができるし、「なれなれしい 」は「誰にでも気さく に接する」と言い換えることができる。相手のいい面を見るように心がければ、肯定的な表現はおのずと導き出せる。

比如說“優柔寡斷的人”是否定的,但是說“謹慎的人”便是肯定的了。同樣的,“愛哭鬼”可以換成“心軟”,“熟不拘禮”可以換成“對誰都很爽快”。如果看到的是對方好的一面,那自然而然用的是肯定表達。

それでも「難しいなぁ」と感じてしまうならば、「形容詞」を「動詞」に変換するといいかもしれない。著者によると、一般に、形容詞を多用すると、感情や評価を含む主観的な表現になりがちだそうだ。一方、動詞を使うと、稱賛も批判も含まない客観的な言い方がしやすくなる。このことは以下の2つの文を見ると分かりやすい。

即便如此還是覺得“很難”的話,將“形容詞”變成“動詞”就行了。根據作者所說,一般情況下,多用形容詞的話,是容易變成包含感情、評價的主觀表達。另一方面,使用動詞的話,是不包含稱讚、批判的客觀說法。可以從下面2個例子看出。

この本は汚い。

この本は汚れている。

這本書髒。

這本書髒的。

両者を比べると、前者は「いやだな」という否定的な気持ちが入っている。後者は事実をそのまま述べている。このように動詞中心の言い方は比較的角が立たないのだ。

相比較兩者,前者是帶有“討厭”的否定的情緒在裏面。後者是單純陳述事實。像這樣多用動詞的說法比較圓滑。

この「形容詞→動詞」の変換を活用すると、誰かに注意するときや子どもに叱るときも、表現がかなり変わってくる。

活用這種“形容詞→動詞”變化的話,在提醒誰注意的時候或者在罵孩子的時候,表達也會有所改變。

「あなたは毎回、時間にだらしない です 。私も困るので改めてください」

「あなたは毎回、時間に遅れます。私も困るので改めてください」

“你每次都在時間上散漫得不得了。我也很困擾的,請改正。”

“你每次都遲到。我也很困擾的,請改正。”

「この前はテストで70點だったのに、今度は60點なんて悪い點數をとったね。次は上がるようにしよう」

「この前はテストで70點だったのに、今度は60點に落ちてしまったんだね。次は上がるようにしよう」

“之前考試明明是70分,這次考了60分這麼差的分數。下次要加油”

“之前考試明明是70分,這次掉到了60分。下次要加油”

どちらも単に事実を述べているだけなので、受け止めやすい表現になったはずだ。

無論哪句,都是單純的陳述事實的表達更容易接受吧。

筆者の個人的な考えだが、人の性格や考え方というのは、話し言葉や書き言葉に表れると思っている。まずは自身の日本語を育てるところから始めるべきではないかと感じる。日本語を使いこなしてこそ、私たちの毎日が輝くのではないだろうか。

雖然是筆者的個人看法,但是人的性格和思考方式會體現在說話的詞語和寫出的詞彙上。首先讓我們從培養自己的日語能力開始。好好運用日語才能讓我們的每一天閃閃發亮。

本翻譯爲滬江日語原創,未經授權禁止轉載。

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