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「お」和「を」同音的背後還有這樣一段歷史

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現代では同じ発音で話される「お」と「を」の文字。他はすべて一音につき一文字なのに、なぜなのでしょうか。

ing-bottom: 177.78%;">「お」和「を」同音的背後還有這樣一段歷史

現代日語中“お”與“を”的發音相同,而其他假名都是一個假名對應一個讀音,爲什麼會有這樣的不同?

ローマ字だと「お」は「O(オ)」、「を」は「Wo(ウォ)」と表記されるので、かつてそのように発音されていたのでしょうが、「お」と「を」の発音がどのように移り変わってきたのか、その歴史を紹介したいと思います。

“お”用羅馬音寫作“O(オ)”、“を”是“Wo(ウォ)”,以前曾是這樣發音的,那麼“お”與“を”的讀音經歷了怎樣的轉變呢?在此將介紹其變化的歷史。

OとWoの歴史

O與Wo的歷史

奈良時代以前、「お」は「O」、「を」は「Wo」とそれぞれ発音が分けられていたそうですが、平安時代になると両者が混同される用例がしばしば見られるようになっていきます。

在奈良時代前,“お”讀作“O”,“を”讀作“Wo”,二者讀音不同,而進入平安時代後漸漸出現二者混用的情況。

だいたい言葉というものはそのようにこなれていくものですが、それじゃよくない!とルールを決めたのが「小倉百人一首」の選定で有名な藤原定家(ふじわらの ていかorさだいえ)。

其實語言本來就是像這樣不斷改變的,但因選定《小倉百人一首》而聞名的藤原定家卻堅持“通用不好!”並定下規則。

もし當時にお菓子の「オレオ」があったら、「ヲレオ(うぉれお)」と発音・表記したのかも知れません。

如果當時有“オレオ”(奧利奧餅乾)的話,可能就會讀作·寫爲“ヲレオ(うぉれお)(沃利奧)”了。

さて、さらに時代は下って江戸時代になると、「Wo」という発音を古くさいものとして嫌い、「お」も「を」も両方「お」と発音するようになります。

隨後到了江戶時代,人們覺得“Wo”這個讀音有些過時不喜歡,於是將“お”和“を”都讀作了“お”。

そして明治時代に入って日本語表記が一音一文字と制定された時も「を」「ゐ」「ゑ」は生き殘りますが、戦後「ゐ」と「ゑ」は淘汰され、いよいよ「を」も廃止されそうになります。

進入明治時代,在制定一音一假名的日語表記時,“を”、“ゐ”、“ゑ”都還留存了下來,但戰後“ゐ”和“ゑ”就被淘汰了,“を”也面臨廢除危機。

しかし、日本語に定着している「を」をなくしてしまうのは抵抗が強かったようで、當局は「當面は助詞のみ『を』を用いる」とし、後で全廃する予定でしたが、そのタイミングを逃したまま今日に至ります。

然而“を”起到維持日語穩定性的作用,其廢除遭到強烈抵抗,於是政府決定“現在‘を’僅作爲助詞使用”,之後將全面廢止,然而“を”一直沿用到了今天。

本翻譯爲滬江日語原創,未經授權禁止轉載。

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