「ふざける」漢字寫作「巫山戱る」?
おふざけが過ぎるとよく怒られることがあります。
玩笑開太過的話有時候對方會生氣。
ただ私は笑いをとりたいだけなのに…
但是我只是想開個玩笑嘛...
笑いが生まれるにはいくつかの法則がありますよね。
要搞笑的話有幾個法則。
単純には下ネタを交えること、また緊張している時、常識ではありえないことも笑いのチャンスです。
一般來說講黃段子,或者緊張的時候,或者超越常識的事情都是搞笑的絕好時機。
特にビッグウェーブを狙いたいなら、それらすべてを網羅することが大切で、そのチャンスはそうそう起こることはありません。
如果是想製造特大效果的話,需要包括以上所有的要素,這樣的時機非常難遇到。
例えば、お葬式で最前列の身內が大きな屁をこくという場面は分かり易いことでしょう。
いくら悲しくても、おそらく大半の人が笑ってしまうのではないでしょうか。
後々の語り草になることも間違いありません。レジェンドウェーブです。
例如說,來講一個比較好懂的情況,在葬禮上,站在最前面的親屬放了一個屁,
無論當時的氣氛有多麼的傷感,估計一大半的人都會笑出來吧。
之後也一定會成爲之後大家的談資,估計會是一個傳奇。
先日子供たちがゲームをしているのを観察、話を聞いていると
どうやら獲得したいアイテムがあるようで、そのために二時間も続けていました。
いざ、その場面が訪れたときに一言、一度獲得を破棄すると、もっといい武器が手に入るらしいよと告げると彼らはそれを鵜呑みにしその通りに行動、私…意外に信用されているんですね。
案の定、アイテムは破棄され、武器ももちろん手に入らず。
捜査していた男の子は絵にかいたように項垂れ、周りは爆笑の渦。
私はその場からさっと身を隠しましたとさ。
前兩天我在觀察孩子們玩遊戲,聽他們說
有一個大家很想得到的物品,爲了它孩子們玩了將近2個小時。
我參與到大家當中,告訴他們如果一旦破壞那個想要的東西的話,可能會得到更好的武器哦!他們不加驗證地這樣做了。我...意外的被信任了。
當然,把那個東西破壞掉之後,孩子們沒有得到武器。
到處找武器的男孩子像畫裏畫的一樣垂頭喪氣低下了頭,周圍發出了一陣爆笑。
於是我馬上退出了他們的戰爭。
おふざけが過ぎましたかね??
玩笑開大了嗎?
「ふざける」の由來
玩笑的由來
いくら頭を捻ってもそれが出てこない。
そんな噓はいけませんね、実は攜帯でさくっと変換。
無論怎麼苦思冥想都想不出來。
但不能撒謊啊,於是馬上掏出了電話。
「ふざける」の漢字が出てこない。
詳しく調べるとやっと出てきた「巫山戱る」、當て字と言う説もあるようですが、どうやら「巫山」とは実際に存在する中國の山のよう。
但卻查不到“開玩笑”的漢字是什麼。
詳細的查了之後終於知道了,它的漢字寫作“ 巫山戱る”,也有說法說它是借用字,而貌似中國的確有一座叫“巫山”的山。
「巫山」は「ふざん」と読み、中國四川・湖北両省の境にある名山。
かの有名な長江が山中を貫くように流れていて、巫峽をつくりあげています。
いわゆる絶景を思い描いてもらえばよろしいかと。
“巫山”讀作“ふざん”,是位於中國四川和湖北兩省邊界的一座名山。
著名的長江貫穿在山中流過,兩邊的羣山叫作巫峽。
大家可以腦補一下,就是一副絕世美景啊。
「山は重畳にして天日を隠蔽する」というフレーズが存在するように、巫山でざれよう(あそぶ)とするのはたわけ(バカ)のやることであるという意味から「ふざける」がきたというわけ。
実に深い渓谷からきたお話ですね。
就像那句“連綿起伏的羣山遮住了天空”的熟語一樣,在巫山(ふざん)玩耍(日語是ざれる)的話就傻子(日語是たわけ)纔會做的事情,從這個意思來看,就有了「ふざける」這個詞。
實際上是從深邃的溪谷裏產生的一個詞。
「ける」は「たわけ者(たわけもの) 」からきた「戱わく」から。
※「たわけ」は「ばかげたことをする」「ふざける」などを意味する動詞「戱く(たわく)」の連用形が名詞となった言葉。
「ける」是從「たわけ物」這個詞當中而來的「たわく」。
*「たわけ」是動詞「たわく」這個動詞的連用形作名詞,意思是“做愚蠢無聊的事”“開玩笑”等意思。
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